水戸商工会議所・水戸市東部地方の歴史と伝統ガイド「歴史と伝統の東部巡り」
史跡

赤沼牢屋敷跡|此君堂跡|武熊城跡

赤沼牢屋敷跡
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 江戸時代に4棟あり、うち大牢は佐竹時代のものだったといいます。罪人の処刑は吉沼・千束原で行われていましたが、幕末の藩内争乱にはこの牢においても処刑が行われ、その数は300といわれます。なかでも哀れなのは、武田耕雲斎の妻と3才の子の処刑であり、「山吹の 実はなきものと思えども つぼみのままに 散るぞ かなしき」は妻女が我が子によせて歌ったものです。現、東台2丁目の地には慰霊碑があり歴史を語っています。
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此君堂跡
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 江戸時代中頃の水戸藩彰考館総裁で全国的に有名な学者、立原萬の居宅である。立原萬(1744〜1823)は、号を東里、翠軒、書斎号を此君堂といった。翠軒は竹を愛した。此君は竹の異名であり居宅のある竹隈の地名にも通ずる。この書斎には水戸の文化人が多く集まり水戸の学芸の中心となった。

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武熊城跡
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 かつて、この地には東西約550m南北約440mにわたり武熊城が存在した。吉田の豪族石川望幹が築城したと伝えられ、その後、江戸氏の支配を経て、天正18年(1590)佐竹氏の支配を経て、佐竹氏が水戸城を攻略し城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。佐竹氏移封後は廃城となり慶安4年(1651)柳堤築造の時、採土されて城跡は無くなった。

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